中田厚仁さんを追悼して

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ドイツ、ボン:今から20年前の今日1993年4月8日、日本人の国連ボランティアとして国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)に派遣され選挙監視員として任務を遂行していた中田厚仁(あつひと)さんは、クメール語の通訳者であったソフィエップ・レックさんと共にカンボジア中部コンポントム州で、悲劇的な襲撃にあい死亡しました。中田さんは当時25歳でした。

中田厚仁さんは、465名の国連ボランティア選挙監視員の一人として、カンボジアの国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)に1992年に派遣されました。中田さんを含む国連ボランティアは、5万人のカンボジア人と共に、カンボジアで最初となる国政選挙を行う為に、最前線で活動しました。派遣された国連ボランティアは、現地の人々と共に働き、生活し、そして地域社会での選挙プロセスの組織化を支援し、カンボジア国民に対して選挙と民主主義の原理原則を広く伝える為に大々的なキャンペーンも実施しました。

中田厚仁さんの世界平和を希求する献身さとその功績が認められ、2002年に国連ダグ・ハマーショルド賞が、厚仁さんの父中田武仁(たけひと)さんに授与されました。

中田武仁さんは、国連ボランティア名誉大使に任命され、息子厚仁さんの願いであった世界の平和と開発に貢献しました。中田武仁さんは、15年間にわたり唯一の国連ボランティア名誉大使の任務を遂行し、世界中にボランティアリズムを広め、2001年を「ボランティア国際年」とするために重要な役目を果たしました。

中田武仁さんは、「中田厚仁記念基金」を創設し、国際開発プロジェクトや、ボランティア活動を支援しました。また、この基金を通じて、厚仁さんがなくなった場所に作られた「アツヒト村」に学校が建設されました。

1993年当時カンボジアで国連ボランティアをしていた同僚や友人たちは、厚仁さんを活力に満ち、行動的で、情熱にあふれた若者だったと表現しています。

「アツ(厚仁さんのニックネーム)は、理想主義者で、決断力があり、活力があり、変革を起こそうという熱意に満ちていました。アツは、妥協するのが好きではなかった」と当時(1992年から93年)カンボジアで国連ボランティアの選挙監視員だったスティーブン・キンロッホ・ピチャットさんは、中田厚仁さんの10周年追悼式の際に述べました。

「民主主義と表現の自由は、人権として、何があろうとも求め続ける価値がある。アツは、自分の命を犠牲にして、この当然の真実を証明したのです。次に何が起ころうとも、この事は、決して忘れてはいけないことでしょう」とスティーブンさんは述べています。

 

 

中田厚仁 Profile

-1968年1月10日(大阪)

-1993年4月8日(カンボジア コンポントム州)

-「世界市民ここに眠る」

(カンボジア コンポントム州、ナカタアツヒト村、ナカタアツヒト小中学校の中庭の中田厚仁記念碑)

(写真: スティーブン・キンロッホ・ピチャット 2003年)