佐藤 慶一さん:タジキスタン

世界で活躍する日本人国連ボランティアからの現地報告(10)

中央アジアのタジキスタンでUNVプログラム・オフィサーとして活躍中の佐藤慶一(さとう・けいいち)さんのエッセイを紹介します。佐藤さんのUNVとしての派遣は国際協力機構(JICA)からの財政支援によって実現しています。

(写真)国際青少年デー。VSOの英国・アフガン・タジク及びYOUTH PEER EDUCATION NETWORK (Y-PEER)の青年らと共に。彼らのエネルギーに飲まれ、本当にお世話になった1日でした。

タジキスタンって、どこにあるの?

タジキスタンは、ユーラシア大陸の真ん中にあります。国土の大部分を数千メートル級の山岳地帯が占め、北極と南極を除く地球上でもっとも長い氷河「フェドチェンコ氷河」が77kmに渡ってパミール高原に横たわっています。近年の地球温暖化といわれる影響で、この氷河も縮小していると言われています。

どんな人が住んでいるの? -言語・宗教・かつての内戦-

国家言語はペルシア語の方言とされるタジク語です。ペルシア語とは7世紀ごろに分離したと考えられていますが、イランやアフガニスタンの人々と十分に意思の疎通が可能な言語です。タジキスタンはシルクロードに位置し、古くはペルシア語・タジク語が中央アジアでの共通語であったと考えられています。古い時代の詩や物語が今日でも学校の教材として使われるなど、歴史の厚みを感じさせる言語です。

宗教は、スンニー派のイスラム教徒が国民の9割以上を占めています。旧ソ連時代の影響で政治社会文化は世俗的ですが、人々の根底にはイスラム教に基づく価値観が他の中央アジア諸国に比べれば色濃く反映されています。

1990年代にかなり激しい内戦を経験し、2万人近くが戦闘で亡くなっています。インフラが多大な被害を受け、多くのタジク人がアフガニスタンに逃げ、難民となりました。しかし、同じ時期に旧ソ連各地で発生した紛争が世界の注目を浴びる一方で、日本の報道機関がタジク内戦をニュースにすることはまれでした。例外としては、1998年の国連タジキスタン監視団の一員だった秋野豊氏の殺害事件、翌99年のキルギス日本人誘拐事件(人質はタジキスタン国内山岳地で監禁されていた)が日本で大きく報道されています。

2000年代から若者の多くはロシアに出稼ぎに出ることが普通となり、一方で中国からの投資が目立つようになりました。

国連ボランティアの仕事

私は、2012年12月末よりUNDPタジキスタン事務所(首都:ドゥシャンベ市)にてUNVプログラム・オフィサー(PO)として働いています。UNDPタジキスタン事務所は、エリア・オフィスも含めると総勢250人を超える比較的大きな組織です。タジク内戦後のUNミッション(UNTOP)が2007年に6年間にわたる活動を終了した後、UNDPタジキスタン事務所の扱う予算額は中央アジア・東ヨーロッパの地域で最大の部類に入ります。実施しているプロジェクトは、貧困削減、ガバナンス、地雷除去、アフガニスタンとの国境管理、災害マネージメント、環境など非常に多岐に渡ります。UNVプログラム・オフィサーは、国連機関に国連ボランティアを派遣する際、及びタジキスタンから国連ボランティアを国外に派遣する際のサポート業務、及びボランティア理念の普及をその中心業務としています。通年、タジキスタンには国連ボランティアが3-5人ほど活動しており、国連ボランティアの人数を増やすことも私の重要な業務の一つです。

UNVプログラム・オフィサーの主な業務は、「ボランティアリズムの推進」、「国連ボランティアの人数の向上」です。国際ユース・デー(8月12日)ですが、イスラム教の断食明けの祝日と重なったため8月17日に実施、国際ボランティア・デー(12月5日)、国際人権デー(12月10日)などの記念日に、地域の若者をボランティアとして動員してボランティアリズムの啓発活動を企画・実施することは日常業務となっています。また、各国連機関の事務所に働きかけ、各プロジェクトの独自資金により国連ボランティアが派遣してもらえるよう交渉することも私の業務です。

なぜ国連ボランティアになろうとしたかというと「新しいことをやってみたい」というチャレンジ精神からでした。しかし、青年海外協力隊の時と同様の経験をすることになるとは夢にも思っていませんでした。赴任時には、物事を行う際に必須の人・モノ・カネの三拍子がそろっていないところからのスタートでした。

当初、タジキスタンの国連機関では国連ボランティアの理念や役割があまり理解されていませんでした。そこで、最初に取り組んだことはメンター的な役割を通じて、国連ボランティアの方々のモチベーションを維持し、彼らの業務をサポートすることで国連ボランティアの質のアップに注力しました。実は、こういった「国連ボランティア個々人の活動をモニタリングする」こともUNVのプログラム・オフィサーの業務です。

2つ目は、ドナー資金による国連ボランティア派遣制度のみでは、国連ボランティアの人数を増やすことは難しいということでした。冒頭でも触れましたが、国連ボランティアの費用面と専門性での長所をアピールしては各事務所を行脚する日々が続いています。CIS諸国及び東欧諸国と比べ、タジキスタンの国連機関の予算額は潤沢で、しかもマネージメント費用もすでに安く抑えてあるなど、国連ボランティアの費用面での長所を生かすのは容易ではなく、チャレンジは続いています。

最後に、お金です。派遣された国連ボランティアが使用できる資金を組み込んだプロジェクトは、現時点ではタジキスタンに存在しません。このような状況で活動の幅を広げるためには、頭と足と手を使うしかありません。知り合いのローカルNGOのプロジェクト形成を手伝っては、その中に国連ボランティアの活動も組み込んでもらったりしています。2013年12月5日の国際ボランティア・デーでは、地方の大学生と障害者から構成されるボランティアと共に中古品のバザーやチャリティイベントを開催しました。

これから社会へ旅立つ皆さんへ

数十年後の日本の社会は、今と同じでしょうか?現在の日本の社会の在り方で、世界の早い潮流についていけるのでしょうか?今後の日本の社会では、多様性・柔軟性・強靭性を兼ねた人材が必要とされます。国連ボランティアは正に、これらの資質を養う上で最適です。

国連での仕事を希望する人に敢えて私が言いたいことは「まずは国連ボランティアを経験してみてください。周囲に頭を下げて仕事をする経験をしてみて下さい」ということです。人生を遠回りしても、努力を継続すれば何とかなる、と実感しています。それではいつの日か世界のどこかで、皆様にお目にかかることができることを楽しみにしています。

Profile ———————

佐藤 慶一(さとう・けいいち)
UNVプログラム・オフィサー
UNDPタジキスタン事務所

1995年大阪外国語大学外国語学部ペルシア語学科卒、国内の町役場の教育委員会で3年の勤務、ブラッドフォード大学にて農村開発・村落金融学修士取得、大阪府立大学農学部地域環境科学科で1年間学ぶ。滋賀県立大学大学院博士後期課程にて乾燥地農業を研究中に青年海外協力隊(村落普及員・ウズベキスタン)に参加。在タジキスタン日本国大使館にて草の根外部委嘱員として農業関係の援助方針策定に参加、アフガニスタン東北部で欧米系NGOのコミュニティ専門家として従事、開発コンサルタントとして業務した後、2012年12月より現職。