元国連ボランティアによる震災支援活動

国連開発計画(UNDP)でプログラム・マネージメント・スペシャリストとして活躍している高須直子(たかすなおこ)さんは、2005年から2年間、パキスタン大地震の緊急・復興支援に対応するために、UNVプログラム・オフィサーとして国連ボランティア計画パキスタン事務所を立ち上げ、管理・運営に携わった経験を持っています。
今回の東日本大震災に際し、高須さんは特定非営利活動法人ジャパンプラットフォーム(JPF)を通して、宮城県災害ボランティアセンターにボランティアとして派遣され、被災地のニーズとボランティアをつなぐ調整業務に従事しました。以下は高須さんから送っていただいた手記です。(写真はパキスタンで国連ボランティアとして活動していた当時の高須さん)

3月11日以来ずっと、自分がやるべきことをやっていない、という焦りにも似た思いを抱えていました。2005年10月8日におきたパキスタン大震災の際には、国連ボランティアとして飛んでいき、緊急援助・復興支援に係わった経験があるため、日本にいるのに何もしていないことが心苦しかったのです。

だからこそ、有給休暇を取って4月26日から5月7日までジャパン・プラットフォーム(JPF)のボランティアとして仙台へ行き、最初の10日間は宮城県災害ボランティアセンターでの仕事、そして最後の2日間は被災したお宅の片づけをお手伝いできて、やっと心が少し落ち着きました。JPF、県災害ボラセン、東松島市と山元町でおじゃましたお宅の方々、私に活動の機会を与えてくださって、ありがとうございました。これからも機会を見つけて続けていくつもりです。

山元町のおばあさんは、私たち5人組のボランティア到着時、最初はとても恐縮されていました。でも、休憩のときや、一緒に作業をしながら話をする中で、「困った時はお互い様、ですよね」と言ったとき、私の気のせいかもしれませんが、少し納得してくださったような感じを受けました。県災害ボラセンで、炊き出しや専門ボランティアの申し出と、避難所や市町災害ボラセンからの要請のマッチングをしていたときにボランティア側から「以前の災害のとき、お世話になったから」という声を沢山聞いていたせいか、自然に口から出てきたのです。

ボランティアって、特別なことでも、難しいことでもないですよね。必要とされることの中から、自分が出来ることを、出来る範囲でやればいい。被災者の方に直接役立ちたいって思うけれど、実際私は床下の泥だしを2日続けてやったら腰も腕も痛くなって、次の日が休養日でなかったらどうなっていたことか。そして、今回実感したのが、災害ボラセンのように、ボランティアをまとめたり、支えたりする組織も必要。JPFのようにNPO/NGOの調整役や、政府・企業との橋渡しをする組織もとても大切。

今回、勤務先の国連開発計画(UNDP)東京事務所の上司や同僚たちが、快く送り出してくれたことにも深く感謝しています。これを読んでいるみなさんの勤務先でも、同じようにボランティア活動に理解があり、一人ひとりの小さな一歩が重なって、大きな前進に繋がりますように。
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2011年5月14日
元国連ボランティア・プログラム・オフィサー
UNDP東京事務所 プログラム・マネージメント・スペシャリスト 高須 直子

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