佐々木 和久さん:コンゴ民主共和国 MONUC(平和構築)

佐々木和久さん

国連コンゴ民主共和国ミッション(MONUC)配属 (2003年4月~2004年3月)
職位:UNV Movement Contol Assistant

1.UNVに参加されたきっかけと経緯について教えていただけますか?

私は、2003年4月に、UNVとして、アフリカのコンゴ民主共和国に派遣される前に、宮城県仙台市で、NGO(非政府組織)の一員として、活動しておりました。 その主な活動内容は、日本から、海外の救援サイトへ、毛布、衣類等の救援物資や学校建設機材を、迅速かつ確実に輸送するサービスを提供することです。

その中で、ある時、自分達の持っているネットワークでは、輸送することができない地域への輸送依頼が発生いたしました。 いろいろと調べていくうちに、国連の平和維持活動においては、多少、危険地域で、輸送困難と思われる地域であっても、国連独自のネットワークを通じて、救援物資等が送られていることを知りました。

そこで、そのようなシステムを知る機会があればと思い、UNVのホームページを通して、UNV登録をいたしました。 登録後、約3ヶ月後に、ドイツ・ボンのUNV事務所より、アフリカのコンゴ民主共和国で展開されているPKO活動(MONUC)に、2週間以内に、参加することができるかどうかの意思確認の連絡が、携帯電話にありました。 何分、期待していなかったこともあり、また、あまりにも、急なオファーでもあり、いろいろと悩みましたが、最終的には、家族と相談をして参加することに決めました。

2.活動の内容は、どのようなものでしたか?

私は、MONUC(国連コンゴ・ミッション)において、Movement Control (ムーブメント・コントロール)というセクションに配属になりました。 私は、MONUCの本拠地であるキンシャサに到着してから、約10日間のチェックイン手続きや短期研修を経て、ルワンダ国境に近いブカブという町に、勤務することになりました。

そこでの主な活動内容は、国連による飛行機(国連機)を利用してコンゴ民主共和国を移動する国連職員、国連関係者、および、NGO関係者の貨物の運行管理、および、MONUCで展開されている平和維持活動の一環としての、軍隊の移動や生活物資の輸送でありました。

2003年7月に、停戦合意がなされたとはいえ、国内では、いまだに、第3勢力によるところの暴動、反乱、そして、殺戮が行われています。 さらに、難民、飢餓、貧困、雇用などに多くの問題を抱えています。 
これらの問題を解決すべくコンゴ・ミッションが、展開されているわけでありますが、その関係職員の移動や事務所及び住居の設営のための重機材の輸送業務を担当いたしました。

3.UNVとして、国連の平和維持ミッションに参加してみてどのような感想をもたれましたか?

私は、初めてのミッションということもあり、不慣れでありましたが、ミッションにおいては、ボランティアとしての活動以上のものが、求められるということであります。 すなわち、ミッションにおいては、国連に所属する一員として、そのシステムへの適合性と高度な専門性が期待されるということです。

4.一番苦労された点は、どういうことでしたか?

やはり、一番、苦労したことは、言語(ことば)でした。 
コンゴ民主共和国は、国内に、300以上の地方語があるだけでなく、元々、ベルギーによる植民地であるがゆえに、フランス語が、公用語でした。

また、キンシャサを中心とする西部地方が、リンガラ語、ブカブやゴマを中心とする東部地方が、スワヒリ語といった状況でした。

英語で、何とかコミュニケーションが取れるだけでは、何ともならない、というのが、私の本音です。
そこで、感じたことは、その派遣される国々の公用語を話すことが、UNVとして、成功を収める条件ではなかろうか、ということです。 やはり、込み入った話になりますと、その人の人格や性格以上に、言語能力が問われると思うのです。

5. これからUNVを考えておられる方へのアドバイス等お願いします。

私は、国連の平和維持活動に、UNVとして参加することの意義は、国連のミッションにおいて、ボランティア精神に基づいて奉仕活動をすることができる、ということであると思います。

すなわち、自分という存在を犠牲にして、相手のために自分を捧げることができることだと思います。それは、一言で言うならば、無償の愛、と言っても過言ではないと思います。そして、その奉仕活動を継続していくためには、対人的に、やさしくなるだけではなく、自分に対しても、そのようにならなければならないと思うのであります。

つまり、自分を愛せない人は、他人を愛し、奉仕していくことはできない、ということであります。自分を愛し、他人を愛することができるとき、本当のボランティアができるものと信じます。